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第52話 夜風と、言いかけた言葉

Auteur: marimo
last update Dernière mise à jour: 2026-01-13 20:01:49

 店を出ると、夜の空気は少し冷たかった。

 昼間のざわめきが嘘のように静まり、街灯が二人の影を細く伸ばしている。

 店内であれほど飲んだワインの余韻が、まだほんのりと身体に残っていた。

「寒くないか?」

 慎一がそっと楓の肩に手を添えた。

「うん、大丈夫。でも……少しだけ涼しいね」

「……もう一軒、行く?」

 慎一の声はどこか迷いを含んでいた。

 帰りたくないのか、帰したくないのか。

 楓にはそのどちらにも感じられた。

「行きたい気もするけど……」

 楓は夜空を見上げ、ゆるく笑う。

「今日はね、慎とたくさん話せたから……それだけで十分」

 慎一は歩みを止め、楓の横顔を真っ直ぐに見た。

 その目には、何か言いかけて飲み込んだような揺らぎがある。

「楓……」

「ん?」

「……いや。何でもない」

 その“何でもない”が、何でもないわけがないことくらい楓にもわかる。

 だが慎一が言葉を選んでいることも、同時に伝わってきた。

(慎……何を言おうとしたんだろう)

 歩き出した慎一の背中に、楓は静かに並ぶ。

 駅へ向かう途中の並木道は、冬支度の葉が揺れ、夜の風の音が二人の沈黙を柔らかく包む。

 並んで歩くだけで心が穏やかになっていく――そんな不思議な相手だった。

 ふと、慎一が言う。

「……本当に頑張ってるよな、楓」

「え?」

「今日の話聞いてて思った。仕事も、恋愛も、自分をごまかさずに向き合ってきたんだろ?そういうの……簡単じゃないよな」

「……慎」

 優しい声だった。

 慰めじゃなく、尊敬のこもった声。

「俺は……楓のそういうとこ、ずっと好きだよ」

 最後だけ少し声が低くなった。

 “好き”という言葉の温度が、頬に残る。

(……どういう意味?)

 聞き返す勇気はなかった。

 訊かなければ、今の関係は壊れずに済む――そんな気もしたから。

 二人は駅までの短い距離を、ゆっくりと歩いた。

 改札の前で、慎一がふと立ち止まる。

「今日は……本当に来てくれてありがとう。そして……楓の隣に立てて、嬉しかった」

「私も……ありがとう、慎」

 楓が微笑むと、慎一は少し照れたように目を逸らした。

 そしておもむろに口を開く。

「楓……もし――」

 そこまで言って、また言葉を止めた。

 胸がどきりと跳ねる。

「……いや。続きはまた今度でいいな。今言ったら、たぶん……
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